その後、父とはぐれてしまい、母と二人で新たな洞窟にたどり着く。何組かの家族が先に入っていて、仲間に入れてもらいほっとしていた。そこへ、日本からの補給が届かず、武器を持たない日本兵が逃げ込んできた。

アメリカの爆撃機が近づくたび、みんなビクビクしていた。洞窟の近くに爆弾が落ちると、入ってくる爆風によって気絶したり死んだりする者が出るからだ。

赤ちゃんや子どもが食べ物や水がほしいと泣く。すると日本兵が「敵機に子どもの声が聞こえると危ない」と言って、泣いている子から順番に座布団の下に敷いていった。泣き声が消えた。日本兵のすることなので、みんな見ているだけだった。

そのうち一人の母親が、自分の子どもは自分でやるとカミソリを子どもに当てるのを見て、母と私は洞窟を出た。

隠れるところがなく、さまよっているうちに、幼稚園で仲良しだった友達とその家族に出くわした。「手榴弾で自決する」と言う一家と別れて、母と歩を進めていく。しばらくすると後方の友達一家がいた辺りで爆発音がした。

その音を聞きつけたアメリカ兵に、母と私は見つかってしまった。日本語が話せる兵士によって捕虜になり、私たちの命は助かった。