源家からの信頼も厚かった仁田忠常。『吾妻鏡』によれば、建仁3年(1203年)6月、富士の裾野一帯で巻狩りがあった際、洞窟探索を命じられている(『少年日本歴史読本. 第拾參編』編:萩野由之/博文館』。国立国会図書館デジタルコレクション

小栗旬さん演じる北条義時、大泉洋さん演じる源頼朝ら、権力の座を巡る武士たちの駆け引きが三谷幸喜さんの脚本で巧みに描かれるNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(総合、日曜午後8時ほか)。8月21日放送の第32回「災いの種」では、奇跡的に源頼家(金子大地さん)が息を吹き返すも、「頼家危篤」の報を聞いた後鳥羽上皇(尾上松也さん)は、次期鎌倉殿として千幡を「実朝」と名付けていました。鎌倉でも政子(小池栄子さん)のもとに義時、泰時(坂口健太郎さん)らが集まり、新体制についての話し合いが始まり……といった内容が展開しました。

一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生が気になるあのシーンをプレイバック、解説するのが本連載。第2回は「なぜ源頼家は仁田忠常と和田義盛の二人に北条討伐を命じたのか?」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!

「武将」「武士」「勇士」

鎌倉御家人にも、当然、格があります。

下野を代表する武士、小山政光が主催する宴会の中で、源頼朝は傍らの熊谷直家を「本朝無双の勇士」と称賛しました。直家と父の直実は源平の主要な合戦に従軍して奮戦した、というのが理由です。

ところがそれを聞いた政光は鼻で笑いました。

「私は広大な領地を有し、多くの家来を養っている。彼らを派遣し、鎌倉殿を勝利に導き、戦功を上げている。ところが熊谷父子はどうだ。こいつらは領地をもたぬから、自身で戦わねばならぬ。それで本朝無双の勇士とは!」

戦いは基本、数ですから、政光の言い分はごもっとも。頼朝はしらけたでしょうけれど(『吾妻鏡』)。

ぼくは「その国にこの人あり」と周囲に名高い御家人は、300人くらいの兵を従えていたと考えています。「武将」と呼んで良いでしょう。

政光の兵力はさらに上かなあ。これに対し、数名の家来しかいない、自身で敵と戦う御家人はまさに「武士」、強ければ「勇士」呼びが適切ではないでしょうか。その意味では、直家はたしかに勇士なんです。