「約2年間、治療とリハビリのための入院生活が始まりました。当初は『何週間か寝ていれば、元の生活に戻れるだろう』くらいに考えていたんですよ。」(撮影:川上尚見)
フランス菓子の名店として知られた東京・八王子の「ア・ポワン」。シェフの岡田吉之さんが脳出血で倒れたこともあり、2012年には閉店を余儀なくされました。塞ぎ込む岡田さんに力を与えたのは「おいしく食べる」ことだったそう。脳出血の後遺症が残るなか、また日々の食事を作るようになったという岡田さんのお話を、愛用の調理道具とともに紹介します(構成=山田真理 撮影=川上尚見)

2時間睡眠の生活を30年間続けて

僕が脳出血を起こし、右半身麻痺になったのは2009年3月4日、51歳のときです。34歳で開いた店では、僕が日本に広めたと自負しているマカロンや、思い入れの強いクグロフなどのフランス菓子の数々が評判を呼び、午後の早い時間にショーケースが空になる日もありました。

とにかく仕事が楽しくて。ある意味、楽しすぎちゃったんでしょうね。倒れるまでの30年間、毎日2時間しか寝ない生活を続けていたんです。フランスでも、1年に2日間しか休まないシェフは多くて、それを見習ってしまったというか。

お店が有名になると、指示だけ出してスタッフ任せにしてしまう人は多いけれど、僕は自分でお菓子を作りたくてお菓子屋さんになったから、どんなことも人任せにできなかった。

思えばその前年、鼻血が止まらなくなったことがありました。1時間経っても止まらず、1箱分のティッシュが空に。そのころから体調がおかしかったんでしょうね。ちょうど病院に検査の予約も入れていました。

倒れた日は、息子の学校が休みで僕も珍しく時間が取れるから「映画にでも行こうか」と言っていたのに、朝、自宅で倒れてしまったんです。

それから約2年間、治療とリハビリのための入院生活が始まりました。当初は「何週間か寝ていれば、元の生活に戻れるだろう」くらいに考えていたんですよ。

ところがある日、病院のパソコンで検索したら、「一度壊れた脳細胞は再生しない」「片麻痺などの障害が残る」と出てきて。なんだよそれ、利き手が一生使えないってどういうことだよって。気持ちが抑えられず、主治医の胸倉を掴んで怒鳴ってしまったくらいです。