ようやく出合った食材固定用金具付きの「片手用調理器具 皮むき器」。本来、皮をこそげ取るステンレスメッシュが付いているが、外した。これとピーラーがあれば野菜の皮剥ぎが可能に

店は閉めざるをえなかった

僕の実家は司法書士事務所。両親とも夜遅くまで仕事をしていたので、夕食時には買ってきた総菜が食卓に並ぶことの多い家庭でした。ただ僕は食べることに人一倍関心が強くて。中学生のとき、大将の味にほれ込んだ近所の町中華でアルバイトを始めたんです。

それでも将来は実家を継ごうと大学では法学部へ進みましたが、スキー場のレストランでアルバイトをしたとき、「料理がやりたい」という気持ちが抑えられなくなった。下山するなり退学届を出して、調理師専門学校へ行きました。

フランス菓子は肉食文化の人たちが食べ続けてきたもの。ステーキハウスやフランス料理の店で働いているとき、肉を勉強しながら、自分はお菓子のほうが向いている、と思うようになりました。3年ほどお菓子の修業に専念してから、28歳で渡仏。パリで2年、アルザスで1年修業を積み、帰国後に地元の八王子に開いたのが「ア・ポワン」です。

僕が倒れてからも、スタッフたちは頑張って店を続けていてくれました。ただ、退院後に食べてみたらケーキの味が全部変わっていた。これは仕方のないことです。僕は仕事に戻れる体ではなくなっているし、むしろお菓子のことを考えたくない精神状態だったから、店は閉めざるをえませんでした。

建物はもちろん、ものすごくお金をかけてつくったんですよ。僕は「メレンゲの達人」なんて言われていて、メレンゲを焼くコンベクションオーブンも自分なりに改造したり、設備投資に余念がなかった。でも高級な窯も、急速冷凍庫も、売るとなったら二束三文でした。

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