若さへの執着の果て
とはいえ、鏡を見て、この程度ならまだ大丈夫だなとニンマリした瞬間に、ふとよぎるのはやがて大丈夫じゃない瞬間が間違いなく来るだろうというイヤ〜な予感。レーザーだろうと、コンシーラーだろうと消せない。
マッサージ時間を限りなく延長しても伸びない。リフトアップでも何としても持ち上がらない。ごめんなさい。もうダメです。そういう瞬間が来るのだろう。やはり物事には限界というものがあるのだ。
その限界を認めない勢いで、肌の若さやハリを求めすぎるのはやはり危ない。限界点を悟った時に一気に落ち込んでしまう恐れがある。
人生を楽しむ心の拠り所が、若さや美しさを保っているという自信だった場合、それを失ってしまうと、急激に心までしぼんで元気の足場が失われてしまう。おそらく懸命に頑張って努力して効果を上げてきた人が陥りやすい陥穽(かんせい)なんだろうと思う。
昔は、ある時点から女性も容色での勝負を諦め、現実に居座ることで実態に即した生き方への変貌を遂げたものだった。幸か不幸か、今は様々な工夫や技術や商品のおかげで土台を叱咤激励することで若さを保つことが相当先延ばし可能になっている。
このままいけるのではないかという気になるのだが、やはり永久に逃げ切るのは無理みたい。個人差はあるだろうが、いつか懸命の努力が及ばなくなるポイントが来る。その時に初めて向き合うスッピンの自分を、あたかも敗北のように感じて自己否定してしまうと一気に気持ちが崩れる。
ゴール前で気持ちが倒れないように、容貌・容色への執念を徐々に丸め込んで、ありのままの自分を受け入れてなおビクともしない心のためのマッサージに励んでおくことも忘れちゃならない。
よし、今するべきなのはこっちだ! と顔面上の老いを手なずけるために心を鍛えていたはずの60代。ところが、丸め込みに成功していたのは、所詮丸め込める程度の衰えで、心もたいして鍛えられていなかったという事実を70代に入った途端に思い知らされることとなった。