受け入れる・抗う以外の選択肢

ある日、スマホで花の写真を撮ろうとしたら自撮りモードになってしまい、スマホの画面に映った自分の顔に「誰だ!? こりゃ!!」と思わずのけぞった。まごうことなき老婆の顔。え〜っ! いつの間にこんなになってたんだ。

『老いを楽しく手なずけよう――軽やかに生きる55のヒント』(著:吉永 みち子/中央公論新社)

またある日、それまでほうれい線ってどれだよと探してもよくわからなかったのに、突如として鏡の中に「これか!」とほうれい線を発見。どうやら老いというのは総じてじわじわと進行するというより、突如現れるものらしい。

え、ウソだろう! と焦りながら、自分はもしかしたら60代のままでいけるんじゃないかと考えていた甘さにけっこう打ちのめされたのである。こういう事態にビクともしない心のマッサージに励むとか言ってたのに、それも全然出来てなかったわけだ。実に情けないうろたえぶりであった。

このままではイカン。全面受け入れか、徹底抗戦か。どっちも難しそうだ。そんな時、「若い時の自分を取り戻そうとしないで、今の状態を保持することが大事なのです」という高齢者向けトレーニングの番組の先生が言っているのを耳にした。

これだ! 原状回復ではなく現状維持を目指して、とりあえず維持するという努力目標を設定。そむけたくなる鏡の中の自分を日々凝視。これを何よりの原動力として、何とか今の状態を維持するべく多少はお金と時間をかけるようになった。

ただし、あくまでも残された時間とのかねあいで出来る範囲。同時に限界点でがっくりこないための心の受け入れ準備も怠りなく励まねばならなくなっているのが今の私。