ひとり向かったのは、次男がお世話になったこども病院。レントゲン写真を見せ説明したところ、こちらへ転院しすぐ検査をして緊急手術の運びに。やはり、3歳児に牽引は不可能との判断でした。

ところが、絶対安静での転院が必要と言われたにもかかわらず、入院先からは包帯すら外されてぽんと放りだされてしまったのです。こども病院に電話すると、なるべく振動を与えぬよう時速30キロ程度で運転してきてくださいとのこと。ようやく着いた先で言われた言葉は、「もう大丈夫。安心してください」。涙が溢れてきました。

ほっとしたのか、翌日私はひどい目眩に襲われ、40度の発熱。先生にお願いして点滴をしてもらいましたが、熱は下がらぬまま長男の手術時間となり、夫だけ立ち会うことになったのです。看護師さんがそっと私を諭してくれました。「お母さんのお気持ちは痛いほどわかります。でもね、高熱がある以上、帰っていただくしかないこと、どうかわかってください」と頭を下げられたのです。

私は泣きながらタクシーで帰宅しました。「手術は成功したよ」と夫から連絡をもらい安堵し、久しぶりに深い眠りについたことを覚えています。

経過は順調。しかし、左手の指に感覚がありません。神経を切断したおそれがあり、「単なる麻痺なら感覚は自然と戻るが、可能性は五分五分」と言われ、半年間経過を見ることになりました。

一瞬の私の不注意で――。ただじっと指をくわえて半年を待つことができず、無理を承知で担当医に相談しました。医師は私の心情を察し、「これでよくなるとは言い切れませんが」と、効くと言われる漢方薬を処方してくださいました。漢方薬を飲ませ、毎日、朝と風呂上がりに長男の指をマッサージすること半年。

検診の前日、家族で散歩をしていたときにお地蔵さんに目が留まり、引き寄せられるようにそっと手を合わせました。すると嘘のような話ですが、翌日の検査では長男の指がかすかに動いたのです。医師も安堵の表情を浮かべ「もう大丈夫です」と笑顔になりました。そこからの回復は劇的でした。

あの嵐のような日々から13年。どんな災厄も乗り越え笑って過ごせるのは、子どもたちのおかげ。私の生きる証です。もう一生分の災難を体験したので、今後はどうか平凡でありますように。


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