◆噓で固められた身の上話

二人が出会ったのは、野村さんが36歳、沙知代さんが38歳のとき。南海(現・ソフトバンク)ホークスの選手と監督を兼ねていた野村さんは、後楽園球場で行われる試合のために上京。訪れた行きつけの中華料理店のママから、たまたま来店していた沙知代さんを紹介されたのが馴れ初めだ。

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彼女から差し出された名刺には、「伊東沙知代」という名前の前に「取締役社長」と記してありました。何をやっている会社なのかと尋ねたら、ボウリング用品の輸入代理店のようなことをしていると。1970年当時、女社長というのはまだまだ珍しかったので、大したもんだとすっかり感心してしまいました。

一方、サッチーは野球に疎く、私のことを知らなかった。すると、店の電話を借り、自分の息子に電話をかけ始め、「あんた、野球の野村さんって知ってる?」と聞いていた。席に戻ってきたサッチーに、なんと言っていました? と聞くと、「すごい人だよ、だって」と。いいカモをみつけたと思ったんだろうね。経済的にではなく、彼女は息子に尊敬されたいという気持ちが強かったんです。

恋は縁とタイミングだというけど、本当だね。サッチーと出会った当時、私には妻がいたけど別居中だった。妻に男ができたと知って、悔しいやら情けないやらで悶々としていたんです。そんな心のうちをうっかりサッチーに打ち明けてしまい……。

彼女はチャンスだと思ったんじゃないかな。妻とうまくいっていない今なら、私を自分のものにできるかもしれないとね。(笑)

もちろん私もサッチーに惹かれたから交際に発展したんですよ。美人だとは思わなかったけど、脚が綺麗だった。それに英語がペラペラだという点にグッときた。こっちは野球馬鹿で勉強なんてしていないから、コンプレックスの裏返しでインテリの女性に憧れを抱いていたんだね。聞けばコロンビア大学で英語を学んだと。ほぉ~と思うのと同時に、恋の魔法にかかっていたというわけです。

ところが、コロンビア大学の話は嘘だった。そればかりか、交際中にサッチーが話していたことは一から十まで嘘でした。彼女の死後に出版した『ありがとうを言えなくて』という本に詳しく記していますが、本名は芳枝だった。東京出身だと言っていたけど本当は福島の農家の娘だったとか、いろいろとね。

彼女は過去を捨てた女だったんです。私に親きょうだいを紹介することもなかった。

ヤクルトの監督時代、家に帰るとサッチーが泣いていたことがあって……。どうしたのかと尋ねたら、「母が死んだ」と言っていたけど、それ以上のことは何も話してくれませんでした。ションボリしている彼女の姿を見たのは、後にも先にもその一度きりだったな。