別れた旦那に関しても、老舗デパートの御曹司だったと作り話をしていたんです。どうやらアメリカ人と結婚していたことを隠したかったらしい。

彼女には二人の息子がいて、長男のダンはどう見てもハーフなのに、施設から引き取ったと(笑)。次男のケニーは日本人である元の旦那とのあいだに生まれた子だと言っていて、幼い頃のケニーは日本人の顔をしていたので信じた。

次々と真実が明るみに出て、そのたびに唖然としましたよ。でもなぜ嘘をついたのかと咎めることはしなかった。身の上を偽ってまで私といたかったのかと思うと、かえって愛おしくなりました。

 

◆「仕事を取るのか、女を取るのか」

私が正式に離婚できていなかったので、交際中は、不倫関係だとマスコミでずいぶんと叩かれたんです。でもサッチーはどこ吹く風、という感じで、息子たちを連れて堂々と球場に来てました。

そのうえ、私のあずかり知らないところでコーチや選手をつかまえて、「アンタ、もっとしっかりしなさいよ!」などと喚(わめ)き散らしていた。監督は知らないのか? と選手たちから詰め寄られ、とんでもないことだと思いましたよ。でも彼女は自分が悪者になってまで私を応援してくれているのだと思って、このときも叱らなかったんです。

やがて球団のお偉方に呼ばれ、「仕事を取るのか、女を取るのか」と迫られた。「女を選びます」と言ったら、みんなキョトンとしてましたよ(笑)。

仕事はほかにもあるけど、彼女は一人しかいないという判断でした。戦争で夫を亡くし、必死に育ててくれた母は、サッチーと出会う2年前に他界していて、私は孤独だった。自分には沙知代が必要だと思っていたし、その通りだったと今も確信しています。

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73年、野村さんが38歳のときに克則さんが生まれる。その5年後に前妻との離婚が成立し、二人は晴れて結婚。沙知代さんの連れ子も野村姓になった。

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サッチーから結婚してほしいと言われたことはなかった。ただ、私と息子たちとの関係が良好だったので、父親役を務めてほしいとは思っていたかもしれません。

私が結婚に踏み切ったのは、克則が生まれていたからです。母は気丈な女性でしたが男のようには稼げず、我が家は想像を絶するほどの貧困家庭だった。私は我が子にあんなみじめな思いだけはさせたくなかったんですよ。