一度しか言わないよ、と兄が語ったこと

その兄が私を見るなり、「香葉子、ごめんね、ごめんね」と言うんですよ。「喜兄ちゃんどうしたの。痛くないの? 大丈夫?」と言ったら、「俺は大丈夫だ、だけど皆死んじゃったんだ」と、兄が泣きました。

あの時の空襲は、木造家屋の多かった地域をぐるっと取り巻いてのじゅうたん爆撃でしたから、まさに四方八方炎に包まれ、たった2時間で10万人以上が殺されたんです。

一度しか言わないよ、と言って、兄が話してくれました。

あの日、父の警防団からの帰りが遅くなり、逃げ遅れてしまった。父を先頭に家族で近くの中学に逃げ込もうとしたところ、門が閉ざされて中に入れない。母が弟を胸に抱いて地面に突っ伏し、その上に父が覆いかぶさって、おばあちゃんを真ん中に兄たちが囲んで。

そこで一番上の兄が、「潔く舌かんで死のう」と言ったそうです。その時父が、兄に「あそこを見ろ!」と、わずかに開いた窓の隙間を指さした。兄は、夢中でそこによじ登って中に入った。

明け方になって、家族を捜したけれどわからなかった、皆真っ黒焦げでわからなかった。後になって私の友人が、あの時、大勢の死体を踏んづけたその感触が、いまだに足に残って苦しい苦しいと教えてくれました。

その日は一晩、兄と抱き合って泣き明かしました。翌日、ここに厄介になることもできないからと、兄は東京に一人で戻って行きました。それから長いこと兄の消息がわからず、何年も会うことができませんでした。