終戦から77年。戦争の時代に少年少女だった人たちが高齢になっています。平和な時代を生きる私たちにとって戦争は無縁に思えますが、過去の大戦を体験した人々も、平穏な日常生活を送っていたのです。『ありがとう』『渡る世間は鬼ばかり』など数々のヒット作を世に出した石井ふく子さんもその一人。たくさんの作品を手がけてきた石井さんですが、戦争ドラマだけは絶対に作らないと決めているといいます。その思いの原点となる体験とは──(聞き手=堤江実 撮影= 藤澤靖子)
戦争をドラマには描けない
本当なら、私が撃たれていたはずだったのです。そのことを思い出すと、今でも胸が苦しくなります。
1944年、当時18歳だった私は女学校の勤労動員のため、東京・錦糸町の軍需工場で時限爆弾の装置を作っていました。空襲警報が鳴ると、私は副班長として先頭に立ち、みんなを防空壕に誘導することになっていたのです。
その日、私が何かでちょっと席を外した時に、空襲警報が鳴り響きました。間に合わなかった私の代わりに、いつもは最後尾にいる班長が先頭に立って、みんなを誘導。私は後ろから追いかけました。
そこへ突然、低空飛行で敵機が飛んできて、機銃掃射をしてきたのです。先頭にいた班長と、もう一人の子が、目の前で撃たれました。それは、私のはずでした。
つらかったのは、亡くなった級友たちのご家族に、先生と一緒に報告に行かなくてはならなかったこと。ただただ頭を下げるだけで、言葉なんか何も出てこない。
この時のたとえようもない悲しみと怒りが、私が作るドラマの底にはいつもあります。
この仕事を始めてから、「終戦記念でドラマを作ってほしい」と何度も乞われましたが、絶対に作らないできました。
私は、戦争をドラマには描けない。本当の戦争はまったく違うものだから。ただ、平和に、普通に毎日を送れることがどんなに尊いかを、私は描き続けてきたつもりです。