私は父を恨むに恨めなかった

連載の中の「人が歪むには理由がある。貧困や病のせいで暴君だった父も今は弱り、年々母を大切にするようになっている」でも書いたが、私の父はとてもかわいそうな人だ。
極貧家庭で育ち、幼いころに父親(私の祖父)と死別。精神障害とその影響もあってか何度も単独事故を起こし複数回手術。身体も弱く病気がち。
そんな父も、どこかで福祉につながれていれば。
気にかけてくれる人に出会えていれば。もっと違う人生だったかもしれない。

そう思うと、父を恨むに恨めなかった。
人を恨むというのも力がいる。
だから、父を憎めなくて、恨めなくて、それでいいのだとも思う。

自身の苦しい体験を赤裸々に綴った初の著書『死にそうだけど生きてます』(著:ヒオカ/CCCメディアハウス)

ただ、今の私には父の願いである、電話で話したり、会ったりということをしてあげる精神的余力がまったく残っていない。
もう、疲れ切ってしまったのだ。
今はその時ではない。「自分の人生」を歩み、それに集中する。それでいいのだと今は思える。

父が今死んだら、私は後悔するだろうか。
会ってあげたらよかった。電話に出てあげたらよかった、と。
世間的には、老いた親には親孝行するのが人の道というものなのだろう。
でも、人にはそれぞれ背景があるし、段階がある。正解だって違う。
親と和解すべき、みたいな圧力を、私は一旦無視することにした。