子供が毒親と気付くのは難易度が高すぎる

以前「貧困虐待家庭に育った後遺症か。治らない頭痛は鎮痛剤の過剰摂取だった。自分が殴られていなくても、「『虐待被害者』なんだと気づく」にも書いたが、私は常に体調が悪い。病名はつかないけれど、さまざまな不調が次々に襲う。それは元々自分の体が弱いからだと思っていた。

でも、医者に、「幼いころ暴力を見続けてきた人は、あなたみたいな症状に悩む人が多い」と言われ、(暴力を見て育ったとは伝えていないのに)初めて自分が「虐待を受けていたのだ」と気づいた。
よく考えてみれば、幼いころに家の中で暴力を見続けて、後遺症が残らないほうがおかしいのだ。

いかに自分が生育環境の影響を受けていたのか、に気づいたのだ。「この年で気付くなんて遅すぎた」と思ったけれど、同じ毒親サバイバーの先輩である参加者からは、「私たちはもっと(気付くのが)遅かった。20代で気づけたら奇跡やわ」と言われた。

毒親育ちはものごころ付く前から、親をケアする側に回ったり、不安定な親のサンドバックになったりするのが日常。
それが当たり前過ぎて、自分の置かれた環境の異常さに気づけない。はたから見たら〈まごうことなき毒親〉でも、子どもがそれに気づくのはやはり難易度高過ぎ案件なのだ。
でも本来、子どもは親に庇護され、養育される権利がある。

参加者の一人が、「本来子どもは権利を持っている」ことを自覚しないと、奪われていることに気づけないと言っていた。
本当にその通りだと思う。

会場に向かう途中商店街で

「私たちはあまりに、本来は受けなくていい傷を負い過ぎた」
「本当によくここまで生きてきた」
目の前の毒親、貧困サバイバーである参加者たちにそう言いたかった。そして自分にも言ってあげたい。