玄関に花を欠かさないようにしている(写真提供◎山田さん 以下同)
認知症について、どんな症状でどう接したらいいと、書籍や雑誌、ネットに情報はあふれている。頭ではわかっていても、毎日接する家族であればストレスもたまり、ついつい、キツい言葉や態度が出てしまう。元新聞記者の山田道子さんは、認知症が始まった84歳の母と二人暮らし。記者としての冷静な視点で、母の日常と自身の心の動きを分析している。多くの人が直面する介護問題について、実体験に基づく思いと、その解決法を専門家に尋ね綴る連載。第1回目は「ウクライナとニコライさん」です。
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「100回言ったでしょ」はNG
1分後には覚えていない 絶対欠かせないトマト ロシア人のニコライさん 時々ヘルマンさんになる 早く戦争止めてくれ

「100回言ったでしょ」はNG

朝、目が覚めると2つのことを心に誓う。1つは怒らない。もう1つは「でしょ」という語尾を使わない。認知症は「覚えられない」病気だから何回同じことを聞かれても、何回同じことを言ってきいてくれなくても仕方ない、と布団の中で自らを戒める。が、正直、誓わなくてはいけないこと自体、自分自身が嫌になる。憂鬱になる。

誓いは早くも砕ける。朝、自室がある2階から階段を降りていく。玄関の花を欠かさないのは、心を落ち着けるため。が、花の横に置いてある新聞の折り込み広告などが抜いてある。コロナワクチンの接種スケジュールが載っている市報が入っていたり、はさまっている「定年時代」というタブロイド紙がけっこう面白かったりする。

何より円安による物価上昇、スーパーで売っているものの値段を確認したくなる。暑い時には母が毎日、1パックかそれ以上飲んでいた牛乳は、店によって値段が80円ぐらい違う。だから、「広告はそのままにしておいて」と何回も言っている。台所で朝食を作っている母に「広告、抜かないでって100回言っているでしょ」と朝から声を荒げてしまう。「なんで」と聞かれ、「見るの」と答える。

ちなみに「何回も言ってるでしょ」とか「100回言ったでしょ」とか「さっき言ったでしょ」はNGらしい。ヘルパーさんら血縁関係がない介護者は言わないだろう。でも、おそらく認知症の親の介護をしている親族は思わず言ってしまう言葉だ。「『100回言ったでしょ』とか言ってもダメなんだよね」と同じく認知症の親を介護していた友人にこぼしたら、彼女は言った。

「100回はただの誇張に思われるからダメ。私は28回とか現実味のある数字にしている」。何回であっても詮無いのだが……。ところが、折り込み広告は最近、置いておいてくれるようになった。「100回」言えば習慣化することもあるのかもしれない。