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ロシア人のニコライさん
そんな朝食時、ロシアのプーチン大統領がウクライナに侵攻してから2つの誓いを破ってしまうことが増えた。
母は中国東北部の瀋陽(旧満州の奉天)で生まれた。6歳の時に終戦を迎え、翌年、母親と弟と一緒に引き揚げてきた。母の父親は、満州国の官僚養成機関である大同学院を卒業し、官吏となった。ヤバいことにも手を染めていたようだ。戦後、中国に捕まって、かの地で亡くなった。
「家には何人も中国人の雇人がいた」「ヤマトホテルのレストランには私の椅子があった。ヤマトホテルというのは、日本でいうと帝国ホテルよ」「おばあちゃん(母の母親)は時々、日本に帰国して温泉地で相撲取りを呼んで豪遊していた」と以前、母が言っていたのでよい生活をしていたと推察する。
当時、ニコライというロシア人が家に出入りしていたようだ。
朝食時、母は必ずテレビをつけ、新聞を読み、時事ニュースに関心を寄せる。ロシアによるウクライナ侵攻のニュースを見たり、読んだりするたびに、毎朝、「ウクライナってどこにある?」「ロシアは広いけれど寒い国だから外に出ていくのよね」の後、出てくるのが「満州にいた時にうちによく来ていたロシア人のニコライさんはいい人だったのに」である。ニコライさんの職業は商売人とか軍人とか時によって変わる。
「おばあちゃん(母の母親)が『ちょっと待って下さい、ニコライさん』と呼び止めていたから、ニコライさんも自分のことを『ちょっと待って下さいのニコライさんです』と言っていたのよね」とおかしそうに続ける。「ニコライさんは、珍しいお菓子をもってきてくれた」「抱っこして遊んでくれた」とか話は展開する。