どこまでも普通の人なのだ

前述した通り、竹内は1982年から2000年までコンサートを行わず、メディアにもほとんど登場しなかったが、その間もアルバムを出すたび、オリコン週間チャートで1位を獲得した。『『VARIETY』(1984年)、『REQUEST』(1987年)、『QUIET LIFE』(1992年)である。こんなアーチストもまずいない。

ただし、そんな時期も隠れていたわけではない。竹内の『SEPTEMBER』(1979年)を作曲した林哲司氏(73)と縁のある横浜マリノスの練習を観に行ったり、大好きなポール・マッカートニー(80)の東京ドーム公演(1993年)に行き、人目を気にせず声援を送ったり。

そういう時、アーチストはメディアにこっそり情報を流し、宣伝に使いがちだが、竹内は一切しない。どこまでも普通の人なのだ。

竹内の生家は、出雲大社正門前にある老舗旅館で、本人は4女2男の6人きょうだいの3女。父親が「世界で通じる人物になってほしい」と思い、「まりや」と命名した。父親の願いはかなえられた。
竹内には癒やしを与えてくれる曲が多い。今後、ますます求められるはずだ。