「曲が書ける」と言ったことが1度もなかった

プロになったのは先にデビューしていた杉のレコーディングにコーラスとして参加するうち、才能を見抜かれたから。在学中の1978年、『戻っておいで・私の時間』でデビューした。

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もっとも、この曲は自作ではなく、作詞は故・安井かずみさんで作曲は故・加藤和彦さん。当時23歳の竹内はルックスも良かったこともあり、アイドル歌手と同列に扱われた。

1979年の日本レコード大賞の新人賞に選ばれているし、「芸能人運動会」にも走り高跳びの選手として出ている。 
竹内は賞レースも運動会も嫌だったと繰り返しインタビューなどで語っているが、それでも強く断れなかったのが普通の感覚の持ち主である竹内らしさなのだろう。

初めて自分で作詞・作曲した曲は1978年のファーストアルバム『BEGINNING』に収められた『すてきなヒットソング(My Hit Songs)』。これに杉ら周囲は驚いた。竹内は「曲を書きたい」とも「曲が書ける」とも言ったことが1度もなかったからだ。万事、控え目なのである。