タブレットは壮絶な3年間の象徴

そもそも、彼女は50代で早期リタイアして、悠々自適の年金生活に入っていたのだった。それが、コロナ禍が始まって政府がリタイアした看護師や医師に復帰を呼びかけたときに、心身をすり減らして働いている元同僚たちを放っておけないと言って職場に戻った。彼女の3年間は、わたしなどには想像もつかないぐらい壮絶だったろう。その記憶の特にやりきれない部分を象徴するもののひとつがタブレットなのかもしれなかった。

わたしが沈黙していると、彼女は思い直したように微笑しながら言った。

「冬が来る前に、久しぶりに休みを取って旅行しようと思ってるんだ」

「冬が来る前に」という言葉は、「またコロナ感染の波が来る前に」ということを意味しているのだろう。

「いまのうちに、パリにおいしいものを食べに行く」

「いいなー。わたしも行きたい」

「とびきりおいしいものを食べてるところを現地から生中継するから」

彼女はそう言っていたずらっぽく笑った。

スクリーン越しに彼女とパートナーがこれ見よがしにおいしそうな料理を食べている姿を想像した。タブレットは楽しい事象を映し出すものでもある。

少しずつ、少しずつでも、彼女にとってそっちのほうが増えていけばいい。そしてそれを見るために、割れたスクリーンのiPadを処分して、新しいものに買い替えようと思った。