生身の人間の実像が描かれる
物語の舞台はテレビ局。
ひょんなことから冤罪事件を追うことになった深夜バラエティ番組のディレクター岸本拓朗(眞栄田郷敦)と、報道から左遷されたアナウンサー浅川恵那(長澤まさみ)は、うんざりするような不条理の数々に直面する。
チーフ・プロデューサーの村井(岡部たかし)の「冤罪を暴くってことは、国家権力を敵に回すってこと」という言葉の通り、真実を追うにつれ、それをいかに世に出すまいとする勢力が強大で、報道に携わるテレビ局内の人間も権力に忖度しているかが明らかになっていく。
『エルピス』が描き出すのは、権力を前に、おもねり、忖度し、怯み、保身に走る組織や人間たち。平気で人を踏みつけ蹂躙し、真実を揉み消す腐敗した政治家。都合の悪い真実に蓋をする報道。正しく機能しない司法制度。それに翻弄され、人生を壊される市民。
そしてそんな現実を前に、正義に走ろうと決意しながらも、強大な権力を前に、右往左往する人々。
ザ・勧善懲悪な仰々しい社会派ドラマとは違い、白か黒かと判別できない、清濁併せ持った多面的で重層的な生身の人間の実像が描かれる。
一度は真相究明のために立ち上がった浅川恵那(長澤)も、ニュースのキャスターに返り咲いてから、忙しい日々の中で、事件を追うことよりも与えられた役割を全うすることに追われていく。さらに、番組の看板を背負う立場となり、組織内からの圧力も高まる中で身動きが取れなくなっていき、無鉄砲に真相を追い続ける岸本拓朗(眞栄田郷敦)との間に、徐々に、しかし確実に温度差が生まれていく。
この対比も、既視感ありまくり。
恵那タイプと拓朗タイプがいるのはもちろん、一人の人間の中にも、「不利益を被っても正義に走りたい」思いと、そうはいっても、「生活が脅かされるのはこわいし、できるならば関わらずにいたい」という思いが同時に存在する。
現実はそんなものではなかろうか。
ましてや国家権力と闘うということの意味を肌身で感じていく恵那が、そういう心理に陥っていくのは必然的なことだ。得体は知れないが確実に存在する権力は、人ひとりの人生くらい簡単に潰せるのだから。
ドラマ中、「闇にあるものは、理由があってそこにあるのだ」という言葉が登場する。
大勢の人が通り過ぎた真実を闇を掘り起こせば、波風が立つ。波紋が広がる。不和が起きる。それは台風によって引き起こされる土砂崩れのように、多くの人の生活を揺るがすものになるかもしれない。そしてあるいは、自分の人生が狂うかもしれない。
権力側についた斎藤正一(鈴木亮平)への思いを断ち切れない恵那への批判も見られたが、人間とはそんなに白黒はっきりした存在ではなく、正義への焦がれと、うんざりするような弱さや狡さが混ざり合っているのではないだろうか。
ドラマを見る側は登場人物にわかりやすさや潔さを求めるが、現実を生きる私たちだって、多面的で割り切れない存在であるはずだ。
8話で職を失った拓朗は、フリージャーナリストとして真実を追い続けるが、それも、正直言って実家が裕福で、帰る家があり、いざとなったら衣食住を支援してくれる親がいるからだろうと、庶民の私は思ってしまう。
そんな頼れる存在がない人は、組織に属する限り、拓朗のような大胆な行動をとることも難しいのがリアルというものだろう。