村正が家康の祖父も父も殺めた?

村正は徳川家にとって不吉な刀だった。江戸時代にはそうした認識が広まっていました。

その由縁はいかに、というと、家康のおじいさんの清康。この人は家臣に殺害されたのですが、その時の刀が村正だった。

それから家康のお父さんの広忠。この人も24歳の若さで家臣に殺されたのですが、その犯行に用いられたのも村正だった。そこから、村正の妖刀伝説が始まったらしい。

でも調べてみると、村正が徳川家に祟った、というホラー話には怪しい点が色々とある。

まず、刀鍛冶である千子村正は三重県の桑名に住んでいた。三河に近い。良い刀が欲しい、と願う三河武士が村正を競って買い求めたのは理の当然である。二人の松平家当主を討った刀が村正であったのは偶然ではあるが、納得できる事態である。妖刀だなんてとんでもない。

文豪、海音寺潮五郎はそう書いています(『乱世の英雄』、文春文庫)。