(撮影=大河内禎)
2021年、22年とドキュメンタリー映画の公開や関連書の刊行が続き、注目を集める「昭和のくらし博物館」(東京・大田区)。なぜ今、昭和のくらしにスポットが当たっているのか。博物館を訪ね、89歳の今も館長として活動を続ける小泉和子さんに話を聞きました(構成=山田真理 撮影=大河内禎)

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不便さや苦労から生まれたもの

昭和の家事を思い出すと、「不便な時代には二度と戻りたくない」と思う人もいるかもしれません。でも、不便さや苦労があったからこそ、そこには多くの工夫や知恵が生まれました。それは「家事の哲学」「くらしの哲学」と呼べるものだと、私は考えます。私たちが生きる社会を見つめ直してみる試みです。

たとえば私の家でも、毎週袋いっぱいのプラスチックゴミが出ます。昔は豆腐屋さんから鍋で買って来た豆腐も、八百屋さんの店先でカゴに入れてもらっていた野菜も、今はみんなプラスチックのトレーに入っているからです。豆腐にしても、原材料を海外から仕入れ、工場で製品化し、トラックで輸送してお店に運ぶためにはガソリンもいるし、トレーに入れなければいけない。安い豆腐をいつでも買える便利さのツケが、大量のプラゴミでもあるわけです。

現代のくらしが便利さを求めるようになったのは、昭和の時代の家事が歴史的にもっとも大変だったという事情があります。たとえば洗濯一つとっても、江戸時代は、肌襦袢と、腰巻やふんどしなどの下着しか日常的には洗っていなかった。使うのもタライに水だけ。それが明治になって洗濯板と石けんを使う洗濯法が入ってきて、昭和には一般に広まります。シャツやブラウス、シーツなど、洗濯しなければならない衣類が増えました。家族も多かったため、主婦にとって洗濯は重労働でした。

水道水と井戸水の蛇口が並ぶ。建築当初はガスや水道がひかれておらず、井戸水を汲んでいた(撮影=大河内禎)