万作師の『釣狐』が一躍脚光を浴びるのは、テレビCMの「違いがわかる男」(ネスカフェ)だった。
――それなんです。その映像に僕の『釣狐』が映ってたんで、その後の『釣狐』の公演のときは超満員。そのころはまだ自宅マンションの一室が事務所を兼ねてましたから、もう切符の申し込みが殺到して、家内が電話に座布団を掛けたりしてました(笑)。倅が中学校に行ってたころでしたから、僕が50歳手前くらいですね。
『釣狐』は重い着ぐるみや面(おもて)をつけて激しく動き回るので、ものすごい体力が必要なのです。そのため、住んでいたマンションの15階から一気に階段を駆け降りて、前の公園を一周してまた一気に駆け上がったりしてましたね。
その後、62歳で『釣狐』を一度演じ納めました。最初の『釣狐』のときは、体力に自信を持ち過ぎてて、飛んだり跳ねたりするところをよりエネルギッシュにやろうとしたから、平常心が失われて、曲に振り廻されていましたね。やるたびに苦しいところも違ったり。
そのうち、これは狐の形を借りて人間を描いているんだという、中身の濃さがわかってきて、さあ、もういっぺん、となったとき、僕は78歳。重い着ぐるみや面をつけず、袴狂言の形でならできるかな、となって、そこから80代にかけて数回演じたのです。
そして90歳だった昨年、映像として残すために観客なしで全編を収録し、今年の6月に放送されました。
そしていよいよ萬斎師の長男裕基さんが『釣狐』を披く日が近づいて。
――倅から頼まれて私が教えたんで、肘をくっつけろとか、背筋を伸ばせとか、つま先を上げるなとか、言うべき所がたくさんある。犬の驚きの習いとか、水鏡の習いとか、初めてやる人間にとっては大変難しいんですね。私は後見をつとめますが、この間長くすわって立ち上がれるかどうか試したら、まぁ大丈夫でした。
そしてこの11月、ご自身の「万作を観る会」の公演も。
――『木六駄(きろくだ)』は、先ほど話に出た二代目松緑さんがこれを歌舞伎になさったときに、私がお手伝いをちょっとしましたが、雪景色の中での牛追いの大変さみたいなものが滲み出てこないとつまらない。やはり年を重ねないとなかなかその味わいは出せませんね。
91歳、万作師の果敢な挑戦はまだまだ続く。〈旺盛な老芸術家のことを、Vieillard vert(グリーン老人)と言う。――堀口大學〉