小そめ もちろん、プロの浪曲師になろうなんて考えもしなかったけど、ここで否定したらせっかくの縁が切れちゃう。それで「はい」って。だから私がこの世界に入れたのは、ある意味、祐子師匠のおかげですね。
祐子 そのあと小柳さんから弟子に取るか相談を受けて、「取るのはあんただよ。だけど、取るなら応援するよ」と言ったね。
小そめ 名古屋在住の小柳師匠は、東京で仕事があるときはいつも祐子師匠のお宅に泊まってましたね。だから私もこの赤羽のお宅へうかがって、稽古をつけていただくようになりました。
祐子 あの人は、芸のほかは赤ん坊みたいに、なんにもできない人だったよ。お父さん(夫で浪曲師の故・玉川桃太郎さん)が生きてたころは、夕方からふたりで晩酌。私が作った料理をつまみに、「赤羽はいいねえ」って悦に入ってんだから(笑)。知り合って20年、ずっと面倒みてきた。でも憎めない人だった。早くに死んじゃって惜しかったね。
小そめ 亡くなったとき90歳ですから、そこそこ長生きと思いますけど(笑)。ただ、まだ前座だった私を祐子師匠が弟子として預かってくださった。曲師と浪曲師の師弟関係はそうあることじゃないし、感謝しています。
祐子 あんたは土台がいい。土台っていうのは、声ね。嫌味のない声。だから修業すればもっと伸びます。この世界は10年はかかる。あんたはまだ3年か4年だろ?
小そめ なにをまた……。もうすぐ10年目です。(笑)
祐子 なんでも勉強だよ。私の命があるうちに、もっとあんたを伸ばすのが役目と思ってる。