長い闘病生活は針と糸とともに

中学の頃から手芸が趣味だったという矢島さん。高校3年生の夏休み、予備校帰りに原宿の古着屋さんで戦前の黒振袖の花嫁衣裳を見かけて、「その美しさに、まるで頭を殴られたような衝撃を受けました」と振り返る。古いもの好きが高じて、大学では考古学を専攻。アルバイトをしては骨董市や古着屋をめぐって、手芸に使える古布を集めたという。

大学の先輩だった男性と結ばれ、子育てや病院経理の仕事に励みつつ、30代の頃から市松人形の制作を始める。「人形の着物を縫うために和裁も習い始めて。娘の振袖もたくさん仕立てたのですけれど、記念写真のために何回も着替えさせられた娘には、『お母さんの趣味に付き合うのはこれきりよ』と呆れられてしまいましたね(笑)」

同じ頃、明治生まれの祖母からちりめん細工の手ほどきを受けるようになる。ちりめん細工とは、表面に「しぼ」という細かい凹凸をつけた絹織物を使う、江戸時代から続く伝統手芸。もとは武家や商家の女性たちが着物の余り布を使い、主に袋物や小箱などの実用品を作っていたものだという。

余り布も大事にする心や、さまざまな由来を持つ造形の面白さに加えて、「道具も針と糸くらいですし、スペースも取りませんから、どこでもちょこちょこっと作れる手軽さがちりめん細工の良さですね。私も入院生活で、だいぶ上達したのではないかしら」とほほ笑む。矢島さんは、33歳の時に卵巣がんの疑いで数ヵ月入院。翌年には交通事故に遭い、さらに45歳で血液のがん、悪性リンパ腫を発病した。寛解するまでに7年も入退院を繰り返したという。

【さるぼぼ】「さるぼぼ」とは、飛騨の方言で「猿の赤ちゃん」のこと。原型は奈良時代に中国から伝わったと言われる。厄除けや子宝、安産のお守りに。大小さまざまなさるぼぼが大集合した作品(撮影◎大河内禎)