筆者の関容子さん(左)と

心から尊敬できる監督であり俳優

次のステップはクリント・イーストウッド監督による映画『硫黄島からの手紙』。この時は二宮和也、中村獅童もオーディションで選ばれたと聞くが、謙さんだけは例外だった。

――おかげさまで、クリントも僕のことを知っていてくれたので。

この作品も最初いろいろあって、クリントが『父親たちの星条旗』というアメリカ側の視点で硫黄島の映画を撮った時、日本側は日本人の監督でという話だったんです。

でもクリントが、そっちも俺が撮りたいと言っているとの情報が入った。これはもう僕が絶対やりたいと、クリントのオフィスに打診したら、すぐに正式なオファーが来たんです。

クリントの撮影はめちゃくちゃ早いんですよ。リハ1回の本テイク1回。あれは36日間で撮ったのかな。土日はブレーク(休日)なので、日数はそれ以上かかってるんだけど。

 

早いということは、クリントさんが俳優たちを信頼してるからなんですね?

――いや、もう信頼しすぎですよ。(笑)下手するとリハもなく、やってみようかってカメラを回して、ん? 今のでよかったのかな? と思っても、まぁ普段でも言い間違えたりすることもあるからって。

でも、ちょっと待って、やっぱりもう一回やらせてくれる? そんな時もありました。俳優それぞれが役を背負って、いろいろイメージしたり、心に秘めていることを信じてくれているところはありましたね。

 

クリントさんが大好きになったでしょうね。

――好きどころじゃない。(笑)心から尊敬できる監督であり、俳優だと思います。

その時に、英語を特訓する必要を痛感しました。でも英語って、僕の故郷・新潟の雪みたいなもので、知らない間に積もるけど、あっという間に消えるんですよ。(笑)

映画と舞台ではそれぞれ発声やイントネーションも違うので、ダイアローグコーチも代わります。ブロードウェイに出演した時なんか、それはもう寝言でも言えるぐらい必死でやっていましたね。