「(2)説が正しい」と考えている理由

なお、督姫は北条氏直とのあいだに2人の女の子、池田輝政とのあいだに5男2女、合計で9人の子を産んでいることが明らかになっています。

もしも(1)の1565年生まれが正しいとすると、末っ子の輝興を産んだときの年齢は47歳に。

かたや(2)の1575年生まれが正しいとすると、氏直と結婚したのが9歳、氏直と死別した17歳までに2人の姫を産んだことになります。

うーん、どちらが正しいのでしょう……。

なお、ぼくは「17歳までに2人の姫を産んだ」という(2)説だと考えています。

たとえば前田利家の奥さん、お松の方は12歳で利家に嫁ぎ、17歳までに3人、最終的に11人の子を産んでいます。

つまり、早くから子を産む状況に置かれていた当時の状況を考えれば(2)は決して不自然ではない。しかも産む人は、ほんとうに多くの子を産んでいた。お松さんの11人を考えれば、督姫の9人もやはり不自然ではないでしょう。2人ともすごいですけれども。

一方で(1)だとどうか。

彼女を迎えた池田家としては、家康の孫である男の子は一人でも多く欲しい。それは間違いない。でも家康の娘で、大切な大切なお嫁さんとの間で子をなしたとしても、万が一、それでお嫁さんに何かがあれば、取り返しがつかないことになる。

なお、督姫を迎えた時点で池田家にはすでに跡継ぎの男の子がいましたし、そこまで無理を強いたりしないはず。それも踏まえて(2)と考えたわけです。