二説ある督姫の生年

産まれた女の子は家康にとっての次女で、その後「督姫」と呼ばれることになります。

なお家康の娘は5人。そのうち4女と5女は子どものうちに亡くなっていますので、成人した姫は3人。その真ん中のお嬢さんです。

督姫は関東の覇者である北条氏直に嫁ぎ、そのあとに池田輝政に改嫁しました。

家康の娘さんなので、さすがに色々と史料はあるだろうと思って調べてみると、生まれた年が2説存在していました。

『徳川幕府家譜』によれば永禄8年(1565年)。これを(1)説とします。

『因州鳥取慶安寺略記』(『池田氏家譜集成』巻30収録)と『幕府祚胤伝』に従うなら天正3年(1575年)。こちらを(2)説とします。

(1)と(2)、その差は実に「10年」。