「征夷大将軍」はただの役職名
やがて時代が下り、一二世紀になると東国で武士の政権である鎌倉幕府が成立し、その棟梁である源頼朝は征夷大将軍に任命されます。
歴史学者の多くは、坂上田村麻呂がそうだったように、東国を支配することに対して一定の正当性を与える役職が「征夷大将軍」だったのではないか、というように議論したわけです。
しかし当時、地位と権限は必ずしも一致していませんでした。そのため「征夷大将軍」もただの役職名にすぎず、中身は何もなかったのではないでしょうか。
征夷大将軍に任じられたことで、頼朝は鎌倉幕府を開く権限=東国を支配する権限を得られたのか、それとも東国を支配するほどの権力を有していたからこそ、征夷大将軍に任じられたのか、という問題です。