頼朝はなぜ征夷大将軍になったのか

あらためて、源頼朝はなぜ征夷大将軍になったのでしょうか?

その顛末は、近年発見された『三槐荒涼抜書要(さんかいこうりょうぬきがきのかなめ)』という史料によって明らかにされました。

平安時代末期から鎌倉時代初期の公家・中山忠親の日記『山槐記』と、鎌倉時代前期から鎌倉時代後期の公家・藤原資季の日記『荒涼記』はすでに研究者の間ではよく知られていました。『三槐荒涼抜書要』はこのふたつの日記から、別の貴族が必要なところだけを抜き書きして編まれたものです。

多くの研究者はオリジナルである『山槐記』や『荒涼記』を読みますから、抜き書きの『三槐荒涼抜書要』はきちんと調べられたことがなかったのです。

駒澤大学の櫻井陽子先生がこの史料を詳しく調べたところ、『山槐記』では記述が落ちてしまっていた部分が記されていることがわかり、その結果、頼朝が征夷大将軍に任命されたときの状況がわかってきたのです。

二〇〇四年に発表された櫻井先生の論文は学界で大きな話題になりました。ちなみにこの『三槐荒涼抜書要』は、私が勤務する東大史料編纂所に所蔵されていた史料ですから、まさに灯台下暗しでした。