50歳を過ぎて学び、夢を叶えた伊能忠敬
伊能忠敬は江戸時代、日本中を歩いて測量し、独力で地図をつくった人です。江戸後期、長崎の出島に滞在していたシーボルトというドイツ人医師は忠敬のつくった地図を見て驚きました。天体を観測して正確な地図をつくるようなことは、ヨーロッパでしかできないと思っていたからです。びっくりしたシーボルトがひそかに国外に写しを持ち出したので、忠敬の地図は世界的に有名になりました。
忠敬は歩幅が約70センチになるように訓練し、歩数から距離を計算しました。移動しながら星の位置を観測すると自分の位置が分かるんです。忠敬は商売を一生懸命してお金持ちになっていました。
50歳を過ぎて学者に天文学を習い、50歳代半ばからその知識を利用して日本の沿岸を何度も回ったので、作家の井上ひさしさんが『四千万歩の男』という小説の題材にしています。山の中に入って測量しなかったので平面図ですが、今見てもきれいな地図です。忠敬は千葉県の佐原(さわら)の人で、地元に記念館があるので、行ってみると面白いですよ。
地図をつくること自体は、今ならもっと正確なものが作成できます。忠敬の生涯から学ぶ最大のことは、200年以上前に「生涯学習」を実現した行動力ですね。英語でライフロング・エデュケーションというのですが、勉強することはいつ始めてもいいのです。
※本稿は、『伝説の校長講話――渋幕・渋渋は何を大切にしているのか』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『伝説の校長講話――渋幕・渋渋は何を大切にしているのか』(著:田村哲夫/聞き手:古沢由紀子/中央公論新社)
「共学トップ」渋幕、渋渋。両校の教育の本質は、「自調自考」を教育目標に掲げたリベラル・アーツにある。その象徴が半世紀近くも続く校長講話だ。中高生の発達段階にあわせ、未来を生きる羅針盤になるよう編まれたシラバス。学園長のたしかな時代認識と古今東西の文化や思想、科学への造詣――前半は、大人の胸にも響くこの「魂の授業」を再現。後半は読売新聞「時代の証言者」を大幅加筆。銀行員から学校経営者に転じた田村氏が、全く新しい超進学校を創り、育ててきた「奇跡」を振り返る。