本木さんと母は、表れ方こそ違いますが、本質がよく似ています。二人とも感覚がすごく鋭敏で、人に気を遣う。けれども、何か大きな決断をする際はダイナミックに変化する度胸が半端ないんです。二世帯住宅を建てる時も、母と本木さんは好みがぴったり。

外側から見ると要塞のようで、内側には木漏れ日の差す庭があり、薄暗いところでじっくりものを考えることができるような空間で──私はお日様が燦々と差す白い家に憧れていましたが、お金を出す二人の趣味が一致したので、私の好みはまったく反映されませんでした。(笑)

 

母から得たものを何かの役に立てたい

私たち家族は7年前からロンドンで暮らしていましたが、母がまだ元気なうちにもっと時間を共有したいと思い、2年前に次男と私だけ日本に帰ってきました。おかげで亡くなるまでの1年間は、一つ屋根の下で暮らすことができました。

母は自立しているので、「どうしてる?」と気にされるのを嫌がり、「放っておいて」が口癖。そうはいっても、孫が上の階でバタバタと走り回る音や笑い声が聞こえてくるのは、「悪くないわね」と言っていました。

昨年の8月13日、母と一緒に郊外の知人を訪ねた際、転んでもいないのに大腿骨を骨折して入院しました。がんが骨に転移していたので、脆くなっていたのです。手術は母の体にすごく負担をかけたようで、3回も危篤状態に。ぜんそく持ちだったので呼吸も苦しそうで、声が出なくて筆談に頼らざるをえなくなりました。

そんな母が、9月1日、病室の窓の外を眺めながら涙を流し、ほとんど出ない声を絞り出すように、「死なないでね。命がもったいないから。もうちょっと待ってください」と唱えるように言ったのです。

いったいどうしたのかと思ったら、「夏休み明けの9月1日は、自殺してしまう子どもが一番多い日なの」と。自分は身動きもできない状況なのに、子どもたちの自殺を憂えていた。自分の命が終わろうとしているからこそ、まだ未来があるのに自ら命を絶たないでほしいと、切実に思ったのでしょう。

いよいよ弱った時に、母は「そろそろ家に帰ろうかな」と言いました。主治医に相談したら、「ご本人の意思を尊重したいなら、今しかありません。これを逃したら病院で最期を迎えることになるでしょう」と。大急ぎでベッドや介護器具を借り、在宅で診てくれる先生と看護師さんを手配し、母が帰宅したのは2日後でした。