「五木ひろし」は五木寛之先生からいただいた名前

そういえば僕は、スターを目指してからずっと、常にチャンスをつかめるようにいつでもスタートできる体制で毎日を過ごしていたんです。
横浜で遊んでいたときだって、青春時代は誘惑も多いし、遊んで道を外す人も多いけれど、僕はお酒も一切飲まずに、みんなが飲むのを見るだけで、最後は一人ずつ送り届けていた。みんな「まっちゃんがいると安心して飲める」なんて言ってましたが、チャンスはどこに転がっているかわからないんだから、プロの歌手としていつも体調を整え、準備万端で待っていなくちゃいけないと考えていた。

そうやって、いつチャンス来てもいいように準備をしていたのに、クラブで稼げるようになっていたから、つい夢を追いかけることをしなくなっていた。それを思い出させてくれたのが「全日本歌謡選手権」でした。

退路を断って挑戦して、5週、6週と勝ち抜いていくと、街でも「あ、三谷謙だ」と言われるようになりました。テレビってすごいなと思いましたね。

「全日本歌謡選手権」5週、6週と勝ち抜いていくと、街でも「あ、三谷謙だ」と言われるようになりテレビってすごいなと(写真撮影:本社・奥西義和)

結果見事に10週勝ち抜き、グランドチャンピオンに輝く。「全日本歌謡選手権」の審査員だった山口洋子、平尾昌晃のゴールデンコンビによる「よこはま・たそがれ」がデビュー曲に決まった。

実は「よこはま・たそがれ」を最初にお披露目するというのに、僕にはまだ新しい名前がなかったんです。それで急遽つけた名前が「中川淳」。たった一日、中川淳という名前で「よこはま・たそがれ」を歌いました。(笑)

でも山口洋子さんが僕が歌っている姿を見て「中川淳じゃだめだわ」って真剣に考えてくださって(笑)。当時、山口さんが大ファンだった五木寛之先生に「五木というお名前をいただくことを了解してくれませんか?」と頼んでくださった。で、いろいろな候補の中から「五木ひろし」になったんです。五木先生はCMソングの作詞のときに「のぶひろし」というペンネームを使っていらしたので、結局は五木先生から全部いただいてますね。(笑)。でも、番組のおかげで「三谷謙」の名前が売れていたので惜しい気もしましたけど、こちらも名前が変わるのは慣れていましたから。

「よこはま・たそがれ」でのデビューは爆発的でした。「全日本歌謡選手権」で盛り上がっていたので、みんなが一気に応援してくれた。でも、当時、僕はあまり周りを信用できていませんでした。

「よこはま・たそがれ」でデビュー時の五木さん(写真提供:五木プロモーション) 

だって、売れない時代に、いろんな人にいろんなことを言われてきているわけです。それまでは同じレコード会社なのに僕の存在さえ気づいていなかった人たちもいるし、じっと僕の顔を見て「君は売れないと思うな」と言われたこともあったし、テレビ局に挨拶に行って、レコードを渡したらその場で投げ捨てられたりね。傷つきますよね。売れていない時代にされたことは全部覚えてます。絶対にこいつだけは許せないという人も3人いました(笑)。不思議と、その人たちが後々一番助けてくれるので、世の中は面白いのですが、当時は人間不信にもなりましたよ。だから、五木ひろしのデビュー作「よこはま・たそがれ」のジャケット写真に映った23歳の僕は、かなりふてくされてるんです。(笑)


●五木ひろしyoutube番組「あなたとアイマショー」Vol.1