個を表現する自由

今回、アルクールの制作技術部門の責任者の女性に会えたので、そのあたりの疑問をぶつけてみた。「アルクールの写真の女性(特に女優や歌手)は、ほとんどの場合、挑戦的で個性的ですが、こういう女性がフランスでは好まれるのですか?」

すると制作技術部門の責任者の女性は、自信に満ちた笑顔で答えた。「好かれる好かれない以前に、私たちは、自分の個性を表現する自由を持っています」。わたしはさらに切り込む。「結局の処、生意気さや知性、強い主張を表現しても、恋愛対象からは外れないということですか? そういう女性でもフランスの男性は愛してくれますか?」

そう聞くと、相手はしばらくなんと答えていいかわからないようだった。すなわち、強さや知性、自己主張が、なぜ恋愛の障害になるのかわからなかったのだと思う。日本人の京子さんが日本の恋愛文化を説明してくれ、やっと相手も理解したようだった、そして笑う。「勿論、愛されると思いますよ(笑)」と。

たしかに、フランス映画に出てくる女性は、時に怖ろしいほど強く、情熱的だ。男に言葉やコップを投げつけるシーンは当たり前にある。でも最後には、ちゃんと男が女性を抱きしめ、愛を囁く。ジャンヌ・モローやカトリーヌ・ドヌーヴが演じた「危険な関係」のメルトゥイユ夫人などは、日本では敵役にしかならない。セシルのような清純タイプの人が、放浪する男を待ち続けたり、頑張るダメ男にそっと寄り添うのが日本の恋愛の理想形なのかもしれない。(主に男性の〈笑〉)