「好き」という感情をもとに、同じ気持ちの人と友達になりたいとはあまり思わないんです。そうではない人もきっと多いのだろうけれど、私は「好き」はやっぱりどうしようもなく孤独な気持ちだと思うし、自分がその人を好きだと思う話を、第三者に聞いてもらってもそれは別にあまり意味をなさないと思ってしまう。話したいこともあるけれど、「好き」そのものの感情はその人にしか向いていないから、別の誰かに話したくはない。この舞台のこういうところが素敵だったから見てほしいですとか、そんな気持ちはあるけれど、でも結局その人宛のファンレターにしか書けないことはたくさんあるし、そこにさえ書かないことだってたくさんある。最初から「好き」には目的がなくて、そう思えたことが既にゴールで、私の中にしかないもので、いつも一人きりの感情なのだ。それをできるだけ汚さずにそのまま大事にその気持ちが自分のエネルギー源であり続けることを祈って、走り続けるしかない。そして少しだけ相手にとっても、頑張るきっかけになる光になれたらそんな嬉しいことはないって思っている。だから本当は誰にも話したくなくて、でも別に黙っていられるわけではなく、ずっと気持ちに整理がつかないから混乱しているし、混乱の中でどんどん息苦しくなる時に、苦しさを垂れ流すことはできないけど、その代わり、嬉しい!楽しい!みたいな気持ちの部分を誰かと話して抽出していきたいのだと思う。好きってしんどくないですか? すこしもそんな苦しさはないって人が多いのかな? 私はたまにとてもしんどいのだけど、黙っているとそのしんどさばかりに目が奪われるから、だから誰かと話して、楽しかったことを砂金みたいに「好き」の河から取り出して、きらきらだ!って眺めている。楽しい!も確かにあるのだ、それだけになれないだけで。でも一人だと多分、ずっと考えてしまうのだろう。