歴史学者の本郷和人さん(左)とエッセイストの大塚ひかりさん(右)(撮影:本社・奥西義和)
「女性のリーダーは少ない」「泣かないのが男らしい」など、日本では昔から当たり前だったと思われがちなイメージのなかには、時代を遡って見ていくと実はそうではないものもあるのです。大塚ひかりさんは古典文学、本郷和人さんは歴史学の視点から、日本における男女の性の真実をあぶりだします(構成=篠藤ゆり 撮影=本社・奥西義和)

<前編よりつづく

宣教師が驚いた日本の貞操観

大塚 日本は、セックスの面でもゆるかったようです。『古事記』や『日本書紀』に、神々のセックスで国が生まれたと書かれていることからも、性はよいものであり大事なものであるという前提があったことがわかります。

本郷 実のところ僕は、Sから始まるアルファベット3文字の言葉を口にすることに抵抗があるのですが……、日本の性のあり方は欧米から見ると独特なようですね。

大塚 来日したヨーロッパの宣教師たちが驚いたのが、女性にとって離婚や再婚がデメリットにならず、貞操や処女性に重きが置かれていない点でした。キリスト教の考えでは、女性の最高の栄誉は貞操と純潔と考えられていましたから。

そしてもうひとつ、男色が公然と行われていたことにも驚愕したようです。フランシスコ・ザビエルが本国に送った書簡には、「自分たちは『この人たちは男色を禁じている』とはやし立てられた」と書いてあります。かなり衝撃を受けたのでしょう。

本郷 キリスト教の教えでは、性の交わりは子どもを作るための神聖な行為であって、そこに喜びを見出してはいけない。だから子どもを作らない同性愛も罪悪視されていたわけです。

大塚 江戸時代の日本では、男も女もマスターベーションが肯定されていたとか。生殖として大事にしている部分と、楽しむ部分が共存していたように思います。

本郷 大奥などで張形(はりがた)が流行るのはわかりますよね。男は将軍1人だったわけですから。そうそう、50人の女性に50人の子どもを産ませた将軍がいますよ。

大塚 11代将軍の徳川家斉(いえなり)ですよね。

本郷 そうです。精力増強のためにオットセイの陰茎の粉末を好んで飲んでいたので、「オットセイ将軍」なんて呼ばれています。