人のファンになるって難しくて、素敵だと思う理由はその人の技術や能力にあるのだし、だからどう出会ってもきっとその人を素敵だと思っただろうな~とは私も思う。過去の映像だってやっぱり好きだなぁと思って見るし、現場で見たかったなぁと思うことは沢山ある。でも、自分が揺さぶられるような、生き方そのものが変わるような出会いになるかは、それだけじゃわからない。タイムマシンがあって、好きになった今、遡って見に行けるならそれが最良だろうなぁ。当時の私は、今の私と同じ反応をするとは思えない。この感情は今の私だけのものだと思いたい。そのほうが、本当だと信じられるから。過去の私に今の私の気持ちがわかるわけがないんだよな。

 ものすごく好きだと、こんなに好きだと思わせてくれるこの人は素晴らしい技術や才能の持ち主だ、と思いたくなり、実際それはそうなんだけれど、気持ちとして爆発的になっているものを全て相手の絶対的評価に変えていくのはそれでもなんだかもったいないな、と感じる。その人が素晴らしいから、だからその人を好きになった、というのはそれはそうなんだけど、でもそれだけではないというか……私は機械的に人を審査して一番客観的に優れている、と思った人を好きになるわけではないし。(そんな単純なら、もっと色んなことが楽になっていただろうな。)「好き」と「評価」は違っていて、そりゃもちろん素晴らしい技術だなぁと好きな人に対して思うことは多々あるし、私の「好き」は評価と無関係なわけではないのだけど、でも、「好き」はもっともっと私に関係するもので、私の勝手な感情なんだ。脳裏に焼き付いて消えない一瞬をその人からもらった。いつまでも忘れられないから、誰かと比べてとかではなくてその人しかこの世にはいないようなそんな錯覚があるから、だから「すごく好きだ!」って思う。「焼き付いた」はその人の鮮烈さがもたらしたものでもあるけど、私の人生が導いたもの、そのタイミングでその場でその方角を見ていたからこそ、のものでもある。太陽の光が焼き付く、そのスクリーンは私が用意した人生。私の心がその準備を終えていたから、そこではっきりと全てが永遠に残されたんだ。