「一度きりの勝利」よりも大切なこと
一度きり勝つことが、それほど得ではなくなった。
そうなると、互恵関係を築ける能力というのが、相手に打ち勝つ能力よりも大事になってくるわけです。論破よりも、言葉をうまく使って相手を懐柔できることのほうがずっと重要になってきます。
とはいえ、人間はまだまだ進化の途中にあるか、または完璧にできあがったシステムで生きているわけではないといってもよい状態なのかもしれません。
調和は大切なもので、自分も相手も得をするいい方法だと分かってはいても、そちらを選べる人は限られており、相手を打ち負かすほうをとっさに選んでしまう人もたくさんいるからです。
そうした小競り合いによって生じた不満は毎日少しずつ溜(た)まっていって、じわじわと自分自身の気持ちを蝕(むしば)んでいくでしょう。
毒舌の芸能人や、論破王のような人、ドラマや小説・マンガなどでも理不尽な相手に仕返しをするようなストーリーに人気が集まるのも、理由のないことではないと思います。
自分ではできないことを代わりにやってくれて、その人に感情移入すると、疑似体験ではあっても瞬間的にスッとした気持ちを味わえるから、その人たちのことやそういったストーリーを見たくなるのも当然でしょう。
これは現代が特殊だというわけではありません。
インターネットとソーシャルメディアが現代社会をおかしくしたと主張する人は巷(ちまた)に多いかもしれませんが、不都合なことを何でも新しいもののせいにするというのはやや安直にすぎ、たとえ本当にそうだったとしても現実的には何の問題解決にもつながりません。
どちらかといえば、この現象は古今東西どんな社会にも見られるものでしょう。大衆の怨嗟(えんさ)の声を代弁するヒーローは必ず支持されるといっても過言ではありません。
「勧善懲悪」というむしろ古典的なパターンがいまだに厳然と息づいていることに静かな驚きを覚えないではありませんが、各国で支持されているのは「悪のXX」にけなげに立ち向かう「俺たちの**」という構造をつくるのに成功した人ばかりです。