自分の食べたいものをつくる──70年の料理歴の原点
生家は大家族でした。好きなものをつくってほしくても、家族が多いのでなかなか自分の要望が通りません。また、姉妹の下のほうだったから、姉たちに先に食べられて、お皿にはちょっとしか残っていないことがしょっちゅう。
子どもの頃、大好きだったのが、もやしの塩こしょう炒め。玉ねぎの塩こしょう炒めも好きでした。かぼちゃをふかして、塩をぱらぱらと振ったものも好物でした。大好きなのに、少ししか食べられません。
「大人になったら、自分で好きなだけつくって、お腹いっぱい食べたい」と、夢ふくらませていました(笑)。今でも、もやしの塩こしょう炒めはよくつくります。
高校生の頃、好物のさつま揚げを自分で甘辛く煮て、お弁当に持っていっていました。家の向かいの大きなかまぼこ屋さんに朝、2枚買いに行き、自分で調理するのです。その頃から、すでに「自分が食べたいものは自分でつくる」と思っていました。
高校3年の夏休みの自由研究として、家族の夕食を毎日つくることにしました。姉3人はすでに嫁いでいたので、姉2人、妹、父、私の5人分です。
「私が1ヵ月、夕食をつくる」と言うと、姉たちは毎日の夕食づくりから解放されると、「やってやって!」と大賛成。
ちゃんとした料理をしたことは、それまでありませんでした。でも、父や姉たちが料理をしているのはずっと見てきました。
母の生前も、母が台所に立つのをそばで眺めていました。時々、母から「橙を絞って、ここに混ぜてね」などと言われ、その通りにやっていました。
そんなことを小さいときから繰り返して、調理の仕方、味付けなどを、自然に身につけていったのかもしれません。だから、姉たちに教えてもらわなくても、見よう見まねでつくりました。