民主主義の基盤の重大な落とし穴!?

ここで、ふつうなら会話は終わるかもしれない。が、彼女はわたしのパソコンのスクリーンを見て言った。

「それ日本語ですか? 懐かしい。上から下に読むんですよね」

「もしかして、日本語わかるんですか?」

「いえ、そうじゃないんですけど、学生の頃、日本食レストランでアルバイトしていたので」

「え、どこのレストランですか?」

と聞いてみれば、それはわたしのママ友ならぬ、パパ友が経営している店だ。

「えー、そうだったんですか」

「世間は狭いですね」

とか言っている間に、左隣の席の青年は無事にケーブルをつなぎ、

「めっちゃ助かりました、おふたりがここにいてよかった」

と礼を言う。そんなこんなで青年が無事にレポートを上司に送ったときには3人でガッツポーズをとり、祝福したのだが、その頃にはもう、わたしは青年が地元のリサーチ会社に勤めていることや、右隣に座っている女性が大学の研究員だということも知っていたし、前者が犬を飼っていてその名前がクーパーだということも、後者がコーヒーを飲まないのは双子を妊娠中だからということも知っていた。

しかし、こういうのをコミュニケーションスキルとは呼べないのではないだろうか。わたしには、よくしゃべる人たちに巻き込まれているだけとしか思えない。彼らはどうしてこんなにしゃべるのだろう。そういえば、話すことは民主主義の基盤とも言われる。

だが、民主主義の基盤には重大な落とし穴もある。肝心の作業が全然進まず、また締め切りを守れなかったりするのだ。