「私の運命を決めたのは、小学校3年生で出会った手塚治虫先生の『漫画大学』です」

水野さんは1939年に山口県下関市で生まれた。戦中戦後の混乱期で両親との縁は薄く、母方の祖母と叔父に育てられた。

――私の運命を決めたのは、小学校3年生で出会った手塚治虫先生の『漫画大学』です。

手塚先生は、SF、ファンタジー、ミステリ……あらゆるジャンルを描いていました。そんな人、当時いなかったんです。そして、緻密な絵と、複雑で一筋縄ではいかないストーリー。単純な勧善懲悪ではなく悪人にも悪事に手を染めた理由があるとか、科学が人類の未来に何をもたらすかとか。

子ども向けの作品でも、子どもだましではなくて深く考えさせられ、頭をガーンと殴られたようでした。

しかも、『漫画大学』では、漫画の描き方を解説してくださっていて。私もやるしかないと、物語を描き始めました。ペンを使ったのは小学校5年生から。叔父が買い揃えてくれました。使いこなせるようになるまで2年はかかりましたね。

中学に入ると雑誌への投稿を始めました。そのひとつが手塚先生の目に留まり、15歳のとき『少女クラブ』でデビューしたんです。先生には、デビューの翌年ご挨拶しました。

「やあ、やあ、やあ」という感じでニコニコしながら入っていらして。「いい作品を描いているね。これからも頑張ってください」と言ってくださったのを覚えています。