トキワ荘で初めて仲間ができた
――まだ限られた人しか高校進学ができなかった時代ですから、中学卒業後は地元の漁網工場に就職しました。漫画を描くのは仕事が終わった夜。〆切に間に合わなくて、叔父や祖母に手伝ってもらったこともあります。
その頃、福岡県の小倉に住んでいた2歳年上の松本零士さんが、関門海峡を渡って訪ねてきてくださいましてね。美人の未亡人だという噂を聞いたんですって。私、16歳だったんですけど。(笑)
やがて編集者の勧めで18歳のとき上京。合作漫画を制作するため「トキワ荘」へ入居する。
トキワ荘は手塚治虫をはじめ多くの漫画家が青春を過ごした伝説の二階建て木造アパートだ。当時は赤塚不二夫、石ノ森章太郎、藤子不二雄など、そうそうたるメンバーがいた。
――初めてトキワ荘で皆さんとお会いしたとき、スカートが大嫌いな私は、ジーパンを穿いていたんです。でも当時、ジーパンは野良着と思われていたからか、皆さん、ぎょっと凍りついていました。
可愛い絵を描くから、どんな美少女が来るかと心待ちにしていらしたとか。赤塚さんもね、部屋の掃除をして、ワクワクしていたらしいです。皆さん何を期待していたのかしら。(笑)