何事も出来ると思えば出来る

さて、ある日のことであった。私は思いついてうちのものたちに言ったのである。

「もう一度、家を建てたい。気に入ったデザインで便利で住み易い家を建てたいね。」

突然のことだったので、うちのものたちもさすがにびっくり仰天してしまったが、まじめに応じてくれたものであった。

「まあ、先生、素敵ですね、できたら、私もその家の一室に住まわせて下さい。」

「僕は一番上の階がいいな、眺めが良いから。」

私は皆の反応が面白くて、しばらくその話で茶の間は賑わった。

私は一生の中に度々家を建てた。借金をしても家を建てた。あの家を建てるときの高揚した心の状態が、老齢の私の心に再び甦ったと言ったら、人は可笑(おか)しいと思うだろうか。

この思いつきに現実味はないとは言えない。人間はいくつになっても生きている限り、何事も出来ると思えば出来るのである。

こんな私を世間の人は、おめでたい人間と言うのだろうか。

 

※本稿は、『九十歳、イキのいい毎日』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。


九十歳、イキのいい毎日』(著:宇野千代/中央公論新社)

陽気は美徳、陰気は悪徳を信条に98歳の天寿を全うした小説家・宇野千代。毎日、机の前に座り、食事を作り、週に1日だけ大好きな麻雀に興じる。83歳から最晩年まで、前向きでイキのいい毎日を綴った随筆選集。「私の文章作法」「私の発明料理」も収録。