娘の自己肯定感
最後に。
自己肯定感の話なのかどうかは、クエスチョンだが、娘の話。
最近の娘とのお風呂での一コマである。
「ねえ、ママ」
「なんですか?」
「SNSに、悪口書かれた」
「え」
「書かれた」
娘は俯き加減に言った。
「なんて書かれたの?」
「マスクブスって」
「マスクブス?」
「そう」
「マスクブスって、なに?」
「え、そっち?」
ママ知らないですから、あのねマスクブスって言うのはマスクをしてると美人に見えるけど外すとブスっていうこと、それ悪口じゃない! だから悪口だよ!
「そう」
「うん」
わたしは娘になんて声をかけようかと迷った。傷ついた娘が自信をなくすようなことにならないでほしい。
「ママ、どうしよう」
「うん、あのね」
わたしが言いかけたとき、娘はこう言った。
「どうしよう、私、嫉妬されてる」
「え」
「悪口書かれるなんて、私誰かに嫉妬されてる」
わたしは絶句した。
悪口書かれて、嫉妬されてるという発想は、わたしにはないからだ。わたしは、わたしが悪いんだ嫌われてるんだ、という発想が、まず頭をよぎるから。
「ねえ、ママってテレビとか出てて、悪口書かれたことないの?」
「ありますよ」
「あるの? 何回?」
「数えきれないくらい、多分、ありますよ」
「エグっ!」
「え、えぐい、まあ、そうですかね」
「かわいそ!」
「え、まあ、かわいそう、ですかね」
「ママ、すごい嫉妬されてんじゃん!」
え。
まあ。
その発想、自己肯定感高めだと思って、いいんでしょうか。
※本稿は、『母が嫌いだったわたしが母になった』(著:青木さやか/KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
『母が嫌いだったわたしが母になった』(著:青木さやか/KADOKAWA)
「母が嫌い」だった青木さやか、自身と娘との関係を見つめる新作エッセイ!
母との関係に悩み、現在は中学生になる娘さんを育てる青木さやかが、母との関係を振り返りながら、自身の娘との関係を見つめる。子どもとの関係のなかで大切にしていること、これまでの子育てで悩んできたこと、幸せを感じたこと…。同じように母親との関係に悩む人や、子育て中の読者からの相談にこたえるコーナーも。