健常者だって時には優先席が必要なときがある

さらに、健常者の人も時には必要になることだってあるだろう。私も、生理の症状がかなり重く、頭痛と貧血で、外出中に目の前が点滅し、真っ暗になって倒れかけたことが何度かある。予測できたら外出はしないが、朝は元気でも途中から急に酷い貧血に襲われることもある。職場でその症状に見舞われ、電車で帰っているときのこと。意識が朦朧として、つり革になんとかつかまってぐったりしていた。周囲はそれに気づかず、席が空いてもすぐに他の人が座ってしまった。結果的に倒れることはなかったが、帰路が何時間にも感じられた。

実際電車内で、目の前でおそらく貧血で人が倒れたのを2回程見たことがある。倒れた人はギリギリまで立っていて、突然倒れ込み、目の前に座っていた人がキャッチしていた。もし、その人が座ることができていたら、と考えてしまう。

『死にそうだけど生きてます』(著:ヒオカ/CCCメディアハウス)

でもそんな時、優先席に座れるだろうか?なんとなく優先席はお年寄りや松葉づえをついた人の席、という気がして、私は体調が究極に悪くても座れなかった。さらに、健常者(に見える人)を注意する人に出会ったら、二度と利用しようと思わないだろう。注意まではされなくても、そうやって「お前は座る必要がないだろう」という他人の見た目でジャッジしてくる目が気になるというのが、どれだけ体調が悪くても座ろうと思わない大きな理由だ。

優先席に座る健常者(に見える人)を注意するという行為は、むしろ本当に必要な人が利用するさまたげにもなり得るだろう。優先席に座っていて気になった人に声をかけるという行為を推奨するということは、視覚的に優先席を必要とする人とそうでない人を選別することを推奨するということだ。それはつまり、視覚的にわからない障害や疾患を持った人たちが誤解され続け、ありもしない疑いをかけられ続け、不当に注意され続けるということに繋がる。

基本的にはコミュニケーションの取れない他人同士が、視覚的情報だけで、本当に必要な人を判断できるわけがないのだ。