健常者に”見える人”を注意することはあってはならない
これは優先席だけの話ではない。世間はわかりやすい弱者には比較的配慮をするが、わかりにくい弱者には、怠けているだけ、努力が足りないなんて烙印を押してしまいがちだ。知名度の低い障害や病気、特性を持った人は、理解されづらく、配慮もされにくい。それゆえに、疾患からくる、例えばトイレに何度も立つ、急に体調不良で欠席する、集中力が持たない、時間を守れないなどの行動なども、やる気がない、頑張っていないからだと思われてしまうこともある。
もちろん、言ってくれれば分かるのに、ということもあるだろう。だが、自ら説明するハードルは高いし、関わる人全てに毎度説明するというわけにはいかないだろう。これもまた難しいことだが、「何か事情があるのかもしれない」という想像力はもう少しだけ、この社会に必要なのかもしれない。わかりやすい弱者に配慮するという意識は、時にわかりにく弱者を追い詰め、意識の範疇から追い出してしまう。
例えば、明らかに困っている人がいるのに誰も譲らないといった場合に「〈誰か〉譲ってあげてくれませんか」と声かけすることは必要だと思う。本当になんともない人が優先席を独占して、必要とする人が座れない現状も本当に変わらないといけないと思うが、「見えない事情がある」人がいる以上、自主性に任せるしかない部分も大きい。
一方で、優先席に座っている「健常者に見える人」を注意することは、誰のためにもならず、あってはならないことだと私は思う。もしそんな人に出会ったら、私は「見た目で分からない障害や病気の人もいます。見た目で判断して注意するのはよくないと思います」と伝えたい。