〈バイト・クラブ〉。
社長の筧さんたちが勝手にそう名付けたって。
昔話を聞かされた?
まだか。
まだ筧さんが高校生の頃。もう四十年も前。四十年前って、一九五六年だ。昭和三十一年。すっげえ昔だよな。
どんな時代だったのかなって調べてみたら、エルヴィス・プレスリーが〈ハートブレイク・ホテル〉を出した年。日本では、高倉健(たかくらけん)さんがデビューしたんだって。あと、怪獣映画の『空の大怪獣ラドン』が封切りしていた。
そんな年に、筧さんも高校生だったけどアルバイトしていたってさ。
まだその頃には〈アルバイト〉なんて言葉もそんなに広まってなくて、内職とか手伝いとか下働きとか、そんなふうに言われていたらしいけど。とにかく筧さんの家は貧乏でさ、学校に通いながらいろいろ働いていたんだ。
そんなときに、近くにあったお寺でやっていた書道教室の先生の尾道(おのみち)さんって人。お坊さんだったらしいけど、いつでもうちに来ていいぞって言われたんだって。
時間の空いてるときに、お寺の書道教室に来て、そこで何をしててもいいぞって。もちろん教室を使っていないときにだけどね。
勉強しててもいいし、ただ寝ててもいい。もしも腹が減ってるなら飯も出してくれる。
その尾道さんってお坊さんは、近所に住んでいる苦学生とか、恵まれない子供とか、そういう子供たちに場所を与えていたんだって。
自分の時間というものを持てる場所。楽に過ごせるところ。ひょっとしたら楽しい仲間に出会える場所。
筧さんは、そこでいろんな出会いをして、自分の時間を持てて、とにかくすごくいい日々を過ごせてそれがずっと生きる支えになってきたんだって。
だから、もしも自分が大人になって余裕ができたとしたら、そういう場所を作ってみようって思ったんだってさ。
それが、ここ。
〈カラオケdondon〉の七号室。
この部屋はお客さんには貸さない部屋。
生活のためにバイトしながら学校に通っている子供たちの場所。恵まれているとはいえない高校生たちの場所。
〈バイト・クラブ〉のための部室。