「こんなもの」だから闘わねばならん

一年の計は年初にあるのか知らないが、あれが最初のフライト体験だったせいか、今年は飛行機が遅れたり、キャンセルになったり、目的地にすんなり着いたためしがない。先週、所用でリスボンに行ったときも、行きは30分程度の遅れで済んだので「珍しいこともあるもんだ」と思っていたら、帰りの夜のフライトが案の定キャンセルになり、次の日の便に振り替えてもらったら、そっちもキャンセルになった。三日目はさすがにこの格安航空会社が信じられなくなって、TAPポルトガル航空の便を自分で取って英国に戻ってきたのだが、現在、当該格安航空会社とは補償を求めてバトル中である。

こういうバトルも昔はしょっちゅうやっていたもので、2つも3つも並行して闘っていたこともあったが、近年はまったくする必要がなかった。英国に来たばかりの頃は、銀行からお金を引き出せばお札の枚数が足りないとか、買い物すれば店内表示価格と実際の価格が違うなど、あまりに多くの物事が間違っていて、そのたびにバトルしなければならなかったのだが、いつしか英国もきちんとした国になり、そのせいでわたしはぼんやりした人になり果てていたのではないか。

「まあ、こんなものだろう」は単なる諦めの言葉ではない。「こんなもの」だから闘わねばならんという一段深い諦念の表明なのだ。そう思いながらこの原稿を勢いよくタイプしていると、夏休み中の息子がわたしの仕事部屋を覗きながらニヤニヤして言うのである。

「母ちゃんは、物事がうまくいってないときに俄然生き生きしてくるね」

今年の夏の帰省は予約便に何が起きるのか(もうすでに帰りの便が一度キャンセルになって、別便に振り替えになっている)、想像しただけで気合が入る。