発見された新説とは
この「四国説」に加え、もう一つ、いま新しい説が生まれようとしているようです。
まだ説の名前もないのですが、最近になって本能寺の変をリアルタイムで報せ、解説を付け加えた宣教師のレポートが、キリスト教会から見つかったのです。
僕はイタリア語、スペイン語が読めませんので、内容を詳しくお伝えできないのがもどかしいのですが、いま慶応大学の浅見雅一先生(日本近世史・外交史)がその翻訳と解釈に取り組んでおられます。
仄聞するところによると、光秀の嫡子に十五郎という者がおり、彼はキリスト教の洗礼を受けようとしていた。ただ、この十五郎が信長によって討たれそうになったため、光秀は十五郎を守るべく先手を打って信長を襲った――といったもの。
まだ研究の真っ最中ということで、理解・把握が行き届いておらず恐縮ながら、ともあれ、浅見先生の研究は、もしかしたら明智光秀の動向をヴィヴィッドに伝達してくれるかもしれません。同時代のレポートですので、史料的価値も間違いないはず。
注目しましょう!
『「将軍」の日本史』(著:本郷和人/中公新書ラクレ)
幕府のトップとして武士を率いる「将軍」。源頼朝や徳川家康のように権威・権力を兼ね備え、強力なリーダーシップを発揮した大物だけではない。この国には、くじ引きで選ばれた将軍、子どもが50人いた「オットセイ将軍」、何もしなかったひ弱な将軍もいたのだ。そもそも将軍は誰が決めるのか、何をするのか。おなじみ本郷教授が、時代ごとに区分けされがちなアカデミズムの壁を乗り越えて日本の権力構造の謎に挑む、オドロキの将軍論。