いよいよ秀吉が天下人への意欲を見せ始める(『大日本歴史錦繪』. 国立国会図書館デジタルコレクション (参照 2023-08-01))
松本潤さん演じる徳川家康が天下統一を成し遂げるまでの道のりを、古沢良太さんの脚本で巧みに描くNHK大河ドラマ『どうする家康』(総合、日曜午後8時ほか)。第30回では、無事に浜松へ戻った家康。一方、秀吉(ムロツヨシさん)は織田家の跡継ぎを決める清須会議で信長の孫・三法師を立てつつ、織田家の実権を握ろうと動き始めて――といった話が展開します。

一方、静岡大学名誉教授の本多隆成さんが、徳川家康の運命を左右した「決断」に迫るのが本連載。第5回は「秀吉が見せ始めた天下人への意欲」についてです。

「織田体制」内の抗争

天正十年(一五八二)六月の本能寺の変後も、織田信長が築いた「織田政権」の枠組みは残り、清須会議を経て新たな「織田体制」が成立した。

しかしながら、この「織田体制」は内部での主導権争いが激化して、早くもこの年のうちにほころびが生じ、長く続くことはなかった。

すなわち、当初は織田信雄と信孝とによる織田家家督三法師の「名代」争いに始まり、やがて信雄を支援する羽柴秀吉と、信孝を支援する柴田勝家の争いへと発展していったからである。

三法師は安土城に入る予定であったが、修築されるまでの間、清須会議で美濃一国を領有することになった信孝が後見人となり、岐阜城に入った。