鉄火場から勝利をもぎ取った秀吉

『どうする家康』では前回、清須会議から賤ヶ岳の戦いまでが描かれました。

織田家存続を願うお市の方と結婚した柴田勝家でしたが、力をつけた秀吉に対抗することができず、あれよあれよという間に自害に追い込まれてしまった印象があります。

では勝家は愚かだったのか? いや、「鉄火場対応の原則」からするならば、けっしてそうではないでしょう。

上様が討たれた、ええ、どういうこと? ここは落ち着いて「見」にまわろう。北陸を抑えて、じっくり善後策を講じよう。

常識人の立派な姿勢だと思います。

ところがまあ、羽柴秀吉がすごかった。あり得ない早さで毛利と和議を結ぶと、一日30キロという、やはりあり得ないスピードで畿内に取って返した。こんなの、明智光秀じゃなくとも腰を抜かします。

鉄火場に手を突っ込んで、がっちり勝利をもぎ取ったわけです。この時期の秀吉は、まさに神がかっていました。